2007年9月24日、岩手山登山を終えた翌日に
海のアルプスの異名をとる北リアスの景観を観るべく
田野畑駅から北リアス線で5分の島越駅に降り立ちました。
「北山崎めぐり」の観光船から、青空とかもめの出迎えを受けて
断崖と岩礁のダイナミックな景観を楽しみました。
下船後 「さんりくトレイン北山崎号」を待つ間
しゃれた造りの島越駅舎で、三陸の海を眺めて過ごしました。
2011年3月11日午後2時46分、私達は異常な揺れを感じました。
地震のガタガタという揺れとは違う、大きな船が左右に揺れる
ユーラユーラという揺れに「 一体、何が起きたのだろう 」と
夫と顔を見合わせ、テレビの速報を見ていたのですが
時間と共に「何地区は壊滅的状況」との報道に驚きました。
そして津波が、建物を、町をのみこんでいく地獄絵図と
「早く高台に逃げろー」という絶叫に「早く、早く」と祈るだけでした。
未曾有の大災害から早くも3年、復興は遅々として進まない様子。
命を奪われた人々の悔しさと、残された方々の悲しみを
忘れてはいけない。
そう思いながら、何も出来ない自分を恥じるだけです。
海のアルプスの異名をとる北リアスの景観を観るべく
田野畑駅から北リアス線で5分の島越駅に降り立ちました。
「北山崎めぐり」の観光船から、青空とかもめの出迎えを受けて
断崖と岩礁のダイナミックな景観を楽しみました。
下船後 「さんりくトレイン北山崎号」を待つ間
しゃれた造りの島越駅舎で、三陸の海を眺めて過ごしました。
2011年3月11日午後2時46分、私達は異常な揺れを感じました。
地震のガタガタという揺れとは違う、大きな船が左右に揺れる
ユーラユーラという揺れに「 一体、何が起きたのだろう 」と
夫と顔を見合わせ、テレビの速報を見ていたのですが
時間と共に「何地区は壊滅的状況」との報道に驚きました。
そして津波が、建物を、町をのみこんでいく地獄絵図と
「早く高台に逃げろー」という絶叫に「早く、早く」と祈るだけでした。
未曾有の大災害から早くも3年、復興は遅々として進まない様子。
命を奪われた人々の悔しさと、残された方々の悲しみを
忘れてはいけない。
そう思いながら、何も出来ない自分を恥じるだけです。
コメント