友人から、高齢のお母様が「 私は手術を受けたいよ 」と仰ったと聞いて
先日のNHKスペシャル「老人漂流社会」での、老人の言葉を思い出した。

身寄りも金銭的蓄えも無く、一月毎にショートステイで居場所を移される老人、
年金で不足する分を、生活保護を受けられることになり、某所に落着いた。
世話をするケアマネージャーが終末期について、意思の確認をした。
そのご老人の返事は 「命ある限り生き抜きたい」 と。
人間、生きられるだけ生きていたいというのが、正直な気持ちなのだろう。

夫には「自分の力で生きられなくなったら、一切の延命処置はいらない」 と言われている。
しかし、その立場になったら、そう割り切れるだろうかと疑問に思っている。

コメント

椿美
2013年1月23日9:53

このドキュメンタリは私も見ました。この男性は確か80近くまで運送業を営んでいた方ではありませんでしたか? こういった前向きな想いがひとつの例として、番組で取り上げられたのでしょう。先日、麻生さんの”失言”もありましたが、難しい問題ですね。

witch
2013年1月23日11:09

椿美さん
そうです。 奥様に先立たれ、それまで一生懸命に生きてきた結果が辛い境遇ですものね。
「早く妻の所に行きたい」と答えるかと思ったのですが、意外でした。
一日でも長くこの世の空気を吸っていたいと思うものなのですね。

麻生さんの失言は、現在元気だから言える言葉なのでしょう。
その立場に立たないと分からない、難しい問題ですね。

G−dark
2013年1月23日17:33

現役社会福祉士です。
大勢の高齢者の死に立ち会ってきましたが、90歳を超えた方たちもいざ死の前になると「死ぬのが怖い」「助けてください」とおっしゃり、胃ろうや器官切開を望むケースをいくつも経験しました。
勿論、延命を拒否して自然に亡くなった方も沢山いらっしゃいましたが、「延命は望まない」と書類まで書いていた方がいよいよという時に意志が変わることは意外に多いものです。
死が目前に迫ると、年齢に関係なく怖いのだと思います。
特に配偶者に先立たれた方の場合、「自分が夫もしくは妻の分まで精一杯生きなくては」と100歳近くなっても熱心にリハビリに取り組む方もいらっしゃいます。
逆に、65歳~75歳前後で大きな疾患のない高齢者は「絶対に延命は要らない」とはっきりおっしゃる方が多いです。
世代の違いというよりも、大きな疾患がなくまだそこまで老化していない高齢者だからこそ、まだ死が現実味を帯びていないということかもしれません。
やはりどの年齢の方にとっても、死は恐怖です。
ご友人のお母様、無事に手術が出来ると良いですね。

G−dark
2013年1月23日17:35

失礼しました、

(正)気管切開
(誤)器官切開

です。
 

witch
2013年1月23日22:52

♪G−darkさん
お仕事で沢山のお年寄りの最期に立ち会われていらっしゃるとの事、お若いのに色々な方の人生を見つめられているのですね。
誕生がスタートなら死はゴール、当然のことですが自分のゴールは受け入れ難いのでしょうね。
日野原先生は死を怖がる方に「大丈夫、誰でも上手に死ねるのですよ」 と安心させたとか。
ある高僧がガンを患ったとき、悟りを開いたお方だからと医師が死期を宣告したら
大層、取り乱されたと書かれた本を読んだ記憶があります。
「延命治療で管につながれ、自分が自分として生きられないなら、さっさと死ぬ !」
と格好つけていても、実際にその立場になれば簡単に死を受け入れられるのかどうか疑問です。

友人はとても親孝行で、ご両親の介護で大変なのにいつも明るく元気です。
お母様が順調に回復されるのを祈っております。

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