今では当たり前のように通過している青函トンネルですが
それまでは本州に渡るには青函連絡船を利用するしかなかった。
洞爺丸台風の後、計画が具体化して完成にこぎつけたのです。
海が時化ると欠航になるし、そうでなくても外海に出ると大きく揺れて
大変な思いをして津軽海峡を渡っていたのです。
「何時の話 ? 昔話でしょ」 でもないですよ。
息子の中学の修学旅行は青函連絡船利用でしたから。

列車のまま海底を通るなんて夢のような話でした。
それが今では、空を飛んで1時間20分で東京に着きますものね。
日本中を飛び回れるのも、交通機関の進歩のお陰です。

コメント

ダリア
2012年9月28日19:23

高校の修学旅行は私の学年が最後の連絡船利用でした。
船酔いするのが嫌で、騒ぎながらトランプやってた記憶しかなですけど(^^;

どんどん進歩して、地方はどんどん素通り(高速道路もまた然り)。
公共事業バンザイって感じで(苦笑

witch
2012年9月28日20:38

♪ダリアさん
連絡船もダリアさんが利用していた頃はカーペット席でも外を見られるし
椅子席があったりして、随分と乗り心地が良くなっていたと思いますよ。
私が高校生の頃は、3等(?)は船底で、横たわって揺れに耐えていました。
津軽海峡を渡るのに4時間半、鼠が顔を出したりして、それは酷いものでしたよ。

進歩するのは良いけれど、新幹線は誘致に一番力を注いだ函館を素通りですよ。
完成はwitch没後ということになるでしょうけどね(笑)
でも、巨額の費用を注ぎ込んで札幌まで開通したとして、利用する人は少数ですよね。

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