もしかして、愛してる ?
2008年2月25日コメント (8)夫の受診日、昨年暮れに受けたMRIの結果をしっかり聞いてくるようにと念を押す。
2ヶ月前の検査の結果など忘れているかもしれないから、忘れていたら催促するようにと。
結果、「閉塞部も見つからないし心臓の機能も異常なし。無理しないように・・・」
この無理しないの判断基準が曖昧で困るが、今まで通りの生活がO.Kと受け止めておく。
よーし、登山もテニスも今まで通りのペースでできる。
「良かったねぇ。 良かった、良かった ! !」 と喜びの声を掛けながら
「アレッ、こんなに喜ぶってことは、もしかして夫を愛してる ? 」 と可笑しくなった。
いや、違うな。 「今年もたっぷり遊べるぞ」 とその事に喜んでいるんだろう(笑)
今はもう、愛してるなんていう感情の対象は孫だけで、夫は運命共同体。
相方がいないと仕事が成り立たない。
テニスのライバルがいない。
単独登山や一人旅はつまらない。
けんかの相手がいなくなったら、頭脳作戦も必要なくなり脳が退化する。
愛しているから心配するのでなく、自分の快適な生活を維持する為じゃないのだろうか。
多分、相方だって私を必要とするのは同じ様な理由だろう。
でもいいんじゃない ? お互いが邪魔で目障りでなければ。
2ヶ月前の検査の結果など忘れているかもしれないから、忘れていたら催促するようにと。
結果、「閉塞部も見つからないし心臓の機能も異常なし。無理しないように・・・」
この無理しないの判断基準が曖昧で困るが、今まで通りの生活がO.Kと受け止めておく。
よーし、登山もテニスも今まで通りのペースでできる。
「良かったねぇ。 良かった、良かった ! !」 と喜びの声を掛けながら
「アレッ、こんなに喜ぶってことは、もしかして夫を愛してる ? 」 と可笑しくなった。
いや、違うな。 「今年もたっぷり遊べるぞ」 とその事に喜んでいるんだろう(笑)
今はもう、愛してるなんていう感情の対象は孫だけで、夫は運命共同体。
相方がいないと仕事が成り立たない。
テニスのライバルがいない。
単独登山や一人旅はつまらない。
けんかの相手がいなくなったら、頭脳作戦も必要なくなり脳が退化する。
愛しているから心配するのでなく、自分の快適な生活を維持する為じゃないのだろうか。
多分、相方だって私を必要とするのは同じ様な理由だろう。
でもいいんじゃない ? お互いが邪魔で目障りでなければ。
コメント
お互いに対する絶大な信頼がなければ
成立しないと私は思います。
世の中には本当に配偶者の死を願う人もいます。
誰でも、一度や二度や三度はそう言う事もあるでしょうが
その思いが持続して実行に移される事だってあります。
そう思うと、witchさんご夫妻は素晴らしい時間を経てこられたのだといつも感じます。
わたしも出来ればオーボークンとそんな風になりたいです。
『運命共同体』大事ですよね。
何時も一緒で仲良しのwitchさんご夫妻
私もカンロさん同様、そんな風に成りたいです。
夫婦というのは共同事業者ですから、いちいち愛し合っていたら経営判断を間違えるので、そういうのは着払いにしていいんじゃないかと思います。
愛ということばがシックリ来ないのなら、英語でloveというともっと広義の意味で使いますから、“I love my husband."と言えば体裁がいいんじゃないでしょうか。
ちなみに、(今知ったことですが)、仏教では愛という言葉は煩悩の一種とされていて、「愛着」は「あいじゃく」と読んであまり言い意味ではありません。愛しちゃいかんそうで・・・なんだかよく解りません。
私達はもう人生の山を越えて空気のような存在になっていますからね。
若いカンロさんにはこれから変化が激しく、それだけにやりがいのある日々が待っている事でしょう。
子供達を一人前にするために、夫婦間の話し合いと団結が求められる大事な時間です。
カンロさんご夫妻ならきっと大丈夫。
結婚サンキュウ年記念日には、私達と同じ様な関係になっているかも知れません。
趣味が同じでいつも一緒に行動しているので、皆に仲良し夫婦と思われるようですが
そうでもないですよ。 しょっちゅう勢力争いをして火花をちらしています。
私は心の中で「オーボークン」とつぶやくことにしましたし
夫はいつも「イバリンボー」とつぶやきながら我慢していることでしょうよ。
夫婦間では隠し事をなくして十分な対話が大切かと思います。
ふーみんさんは周囲を温かさで包み込む方ですから、優しい夫婦関係を築きそうな気がします。
愛着という言葉からは、執着→未練がましい状況を連想していまひとつ・・・
愛とかloveという言葉には照れがありますから、needといったところでしょうか。
こういう年代になってから連れ合いを亡くした場合、悲しさより喪失感が強いのでしょうね。
悲しさから立ち直るよりも喪失感を埋めるほうが困難なのかなという気がします。
江藤淳や城山三郎の、妻を亡くした喪失感の深さからそう思いました。
どことも同じです。
なので、witchさんがそれから遠ざかった事への喜び。
失礼ながら、手に取るように判ります。
でも、その中には絶対に「ホッとした」感情があったことかと思います。
やっぱり、道づれがいなくちゃね。
人生、まだまだこれからですもの。
大切にしますわ。 たまには心の中で「オーボークン」と叫びながらもね。