私は死よりもボケて生き長らえる方が怖い
2003年12月21日 20日のETVスペシャルを見てつくづく思った。
谷川俊太郎が時々訪れるという「宅老所」の老人達。
ボランティアにも支えられて、みな明るく楽しげではある。
しかし痴呆の老人はボケている事を勿論自覚できず
子供のようにあやされて、楽しければ幸せだろうか。
生まれたものには死は必ずくるのは避けられない条理。
すべての人が辿る道だと思えば、受け入れる事はできるだろう。
しかし心を失った状態から逃げたいと思っても不可能な事。
自分の理性で制御できない状態で生きる事が怖い。
アルツハイマーを発症した父・丹羽文雄氏と老年性痴呆の母を
長年介護した本田桂子さんの老親介護の体験記
「父・丹羽文雄 介護の日々」を思い出した。
“老醜をさらすことなく、昔のような威厳を保ったまま逝ったほうが
幸せなのではなかったか”そのような内容の部分があった。
しかし、本人には死を選ぶ事すらできず、生き続けなければならない。
私は手術室の中でさえも、意識を失いたくない。
意識を失った自分を沢山の人に晒す事が怖い。
ましてや呆けた状態で、同情に支えられて生き続ける事は恐怖だ。
神様、どうかボケる前に死を授けてください ! !
谷川俊太郎が時々訪れるという「宅老所」の老人達。
ボランティアにも支えられて、みな明るく楽しげではある。
しかし痴呆の老人はボケている事を勿論自覚できず
子供のようにあやされて、楽しければ幸せだろうか。
生まれたものには死は必ずくるのは避けられない条理。
すべての人が辿る道だと思えば、受け入れる事はできるだろう。
しかし心を失った状態から逃げたいと思っても不可能な事。
自分の理性で制御できない状態で生きる事が怖い。
アルツハイマーを発症した父・丹羽文雄氏と老年性痴呆の母を
長年介護した本田桂子さんの老親介護の体験記
「父・丹羽文雄 介護の日々」を思い出した。
“老醜をさらすことなく、昔のような威厳を保ったまま逝ったほうが
幸せなのではなかったか”そのような内容の部分があった。
しかし、本人には死を選ぶ事すらできず、生き続けなければならない。
私は手術室の中でさえも、意識を失いたくない。
意識を失った自分を沢山の人に晒す事が怖い。
ましてや呆けた状態で、同情に支えられて生き続ける事は恐怖だ。
神様、どうかボケる前に死を授けてください ! !
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