人生の終わり方

2003年10月18日
 昨日、整形外科で炎症を起こしているからと受けた注射で
今朝は驚くほど膝の腫れが引き痛みがなくなっていた。
「これなら来週からテニスもバッチリだよ」と言う私に
夫はなかなかいい顔をしない。
私:先生がテープを巻いて走れるようなら良いと仰ってるのよ。
夫:先生はあんなにハードなテニスを3日連続とは思っていないだろう。
 おばさんテニスを週一位に思っているんじゃないか?
確かに女性中心の「ジョイ」を除けば、男性の中に女2人。
球足の速いフロアだから、ハードはハードだ。
しかし、できる時にしなければという焦りの気持ちもある。

 自分は春夏秋冬のどの季節を生きているのか?
人生は冬まで辿り着いて凍りついて終わるものではない。
盛夏に突然、あるいは初秋だというのに終えなければ
ならなかった人生を親しい人で少なからず見ている。

 テニスの友人。40才代。元体育教師で運動神経抜群。
英語の勉強にも熱心で、アメリカ旅行中に倒れ緊急手術。
7月に帰国後「アメリカで手術受けたのよ」と元気な声で電話。
翌年5月には帰らぬ人となってしまった。

 社宅に住んでいた時の一番親しかった友人。50歳。
二男が大学生活を送るためのアパートを探しに上京中。
夫から「Aさんが亡くなったので行くように」との電話。
八王子のAさん宅に駆けつけると
「朝起きないので声を掛けると心不全ですでに亡くなっていた」
とご主人の悲痛な表情。
最後のお別れはできたが、このような最期があるのかと驚くばかり。

 他にも部活のチームメートや元の職場の先輩後輩。
冬を迎えることなく人生に別れを告げた方は沢山いらっしゃる。
それを思うと「永い人生焦ることは無い」とか
「今年できなければ来年」と言う言葉に反発を感じてしまう。
「少し無理をしても、できる時にやりたい。」
周囲はそれを私の年甲斐も無い我が儘ととり、あるいは
心優しい友人は、気遣いたしなめて下さるけれど
やっぱり、私のペースで焦って走り続けたいと思ってしまう。
 

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