ここの日記。日記だから内容は自由ですか?でも読まれる事前提の日記ですよね・・
2003年5月23日 ある日記を読んで、複雑な思いで一日を過ごしました。
自由であるべき日記に対して、意見を書くのはルール違反でしょうか?
「嫌なら読むな」と言われるのでしょうか?
「数十メートル先まで聞こえる末期癌患者の断末魔の叫び」
「何時間も嗚咽をあげ苦悶しながら死んでいく姿」
「家族の前で遺体に綿をつめていく看護士」
ここの日記は、闘病中の癌患者さん・患者の家族も読みますよね。
「癌末期」という興味を引くタイトルで、読み始めたのですが
とても辛くて、気持ちの重たくなる内容ですね。
書いた医学生の方の実体験だとしても、刺激が強すぎます。
もう少し思いやりを持った表現は出来ないのでしょうか?
私の母も肝臓癌で40年以上前に亡くなりましたが
眠るような穏やかな最期でした。
誰の本で読んだかは忘れましたが、末期癌患者である看護士は
医師の「大丈夫ですよ。誰でも上手に死ねるんですよ」と言う言葉で
心が落ち着き安らかな死を迎えたという部分を思い出しました。
上手に死を迎えられるという保障があれば、少しは死に対する
恐怖心は薄れるのではないでしょうか?
この日記を読んで「自分はどんな形相で断末魔の叫びを上げるのか」
と考えると、自分を制御できなくなる時が怖いですね。
誰も経験が無い、初めてのことですから。
色々な立場の人が読む可能性を考慮した内容であって欲しい。
そんな風に思いました。
自由であるべき日記に対して、意見を書くのはルール違反でしょうか?
「嫌なら読むな」と言われるのでしょうか?
「数十メートル先まで聞こえる末期癌患者の断末魔の叫び」
「何時間も嗚咽をあげ苦悶しながら死んでいく姿」
「家族の前で遺体に綿をつめていく看護士」
ここの日記は、闘病中の癌患者さん・患者の家族も読みますよね。
「癌末期」という興味を引くタイトルで、読み始めたのですが
とても辛くて、気持ちの重たくなる内容ですね。
書いた医学生の方の実体験だとしても、刺激が強すぎます。
もう少し思いやりを持った表現は出来ないのでしょうか?
私の母も肝臓癌で40年以上前に亡くなりましたが
眠るような穏やかな最期でした。
誰の本で読んだかは忘れましたが、末期癌患者である看護士は
医師の「大丈夫ですよ。誰でも上手に死ねるんですよ」と言う言葉で
心が落ち着き安らかな死を迎えたという部分を思い出しました。
上手に死を迎えられるという保障があれば、少しは死に対する
恐怖心は薄れるのではないでしょうか?
この日記を読んで「自分はどんな形相で断末魔の叫びを上げるのか」
と考えると、自分を制御できなくなる時が怖いですね。
誰も経験が無い、初めてのことですから。
色々な立場の人が読む可能性を考慮した内容であって欲しい。
そんな風に思いました。
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